ユリアのここスゴ61回目:日本の敬語がスゴイ 3


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こんにちは!EcomのJuliaです。今日のここスゴは、日本人の使う「敬語」について書いてみます。

敬語に興味を抱く外国人は多くて、「敬語を使えたら本物の日本語話者になれる!」とみんな思っています。また、お店などでも丁寧な言葉を使われることで、サービスを受けている実感がわきます。

ただし日本人の中でも間違って使うことがあるくらいですから、外国人にはとても難しいものです。

 

ユリアのここスゴ61回目:日本の敬語がスゴイ

 

以前ブログで紹介したようにドイツにも敬語のような話し方はあるし、他の言語でも丁寧語が存在するでしょう。ただ日本では尊敬語・丁寧語・謙譲語を状況で使い分けるほど敬語が発達していて、話す相手とテーマによって自然に言葉のスタイルが選ばれていますね。
その点で日本が面白いのは、「How to敬語」といった内容の本がたくさん売られていることです。もちろんドイツにも「Business language」を教える本はありますが、それはお客さんとどういう会話をするか説明しているもので、表現そのものの問題には触れていません。

敬語を使っている時の日本人は、まるで別人です。話し相手によって、話している人の性格が変わっているみたいです。話の内容以上に、雰囲気が大きく変わりますね。

例えば電話でも、同僚と話しているのか取引先と話しているのかが声のトーンやアクセントですぐにわかります。日本人には「敬語スイッチ」が付いているようです。

だから、たとえ日本語がわからない人でも「今大事な話をしているんだろうな」と感じることができます。私のお母さんも一瞬で理解できていましたよ!

ドイツ人は話し方を使い分けるというより、丁寧な人は誰に対しても丁寧です。

 

また、敬語は会話だけでなくメールでもよく見られます。私も仕事のメールをよくもらいますが、メール1つでも相手のことを思いやって、丁寧に書かれていることがわかります。

(ここだけの話、ドイツ人は殴り書きをよくします…。あ、私は違いますよ!笑)
こうした会話やメールを見ていると、日本人はある意味で人間関係のゲームをしていると感じることがあります。自分の役割を理解して適切に演じるためにはコミュニケーションの力が必要で、外国人から見ると興味深いです。

 

最近は厳しすぎるマナーも良くないということで変わってきているようですが、私は日本の敬語の使い方はとても好きですよ。役に立たないなら無くなるのだから、現在まで残っている敬語はスゴイですよ!人によって意見は違いますが、とてもユニークなシステムだと思います。

ただ聞く方としては、敬語を「当たり前」だと期待しない方が良いでしょうね。敬語はあくまで、「話し手からのプレゼント」ですからね。

今回の記事いかがでしたか?
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3 thoughts on “ユリアのここスゴ61回目:日本の敬語がスゴイ

  • FALKE 夏目

    この頃、公共放送のアナウンサーやナレーションでも、不自然な敬語や文中でのアンバランスな敬語表現が増えてきています。民放はもちろん、日本語の正確な表現で定評があったNHKでも耳にする事があります。
    度々、耳にする表現の例としては。
    “この◯は、生でも頂けます。”(正・生でお召し上がりください。生でもお召し上がり頂けます。)
    “皇太子がこの様に言いました。”(正・仰いました。)
    “監督の現役時代の写真を見せてもらいました。”(写真を拝見させていただきました。)
    “このパネルを見てください”(正・ご覧下さい)
    等々。
    特に、謙譲語の使い方が乱れてきている様に感じます。

    • Julia
      Julia Post author

      FALKE 夏目さん、
      コメントありがとうございます。
      敬語・謙譲語は日本語でも難しい文法の一つですね。特に外国人には難しいです。
      ただ、面白いことは敬語・謙譲語について疑問があって、日本人に尋ねたとしても、うまく答えられないこともあります。
      特に、FALKE 夏目さんが仰ったように、日常的に使われてしまっている表現と文法書で習う日本語にしばしば違いが見られます。
      ただ、私はそういった違いを見つけることが他の言語を勉強する時の楽しみだとも思っています。

  • FALKE

    “敬語”ではなく“尊敬語”ですね。
    “尊敬語”と“謙譲語”、日本人でも若い人ほど区別が混乱してきているようです。
    唯、“言葉は生き物”なので、次第に消えていく過渡期かと思います。
    江戸時代までは、日本人同士でしか日本語を使うことがなかったので、用法の変化はあるものの、遅々としたものでしたが、日本が開国して以来、西洋の文化や意識(特に身分制度に関する事)が日本人に与えた精神的変化が、“敬語”に与えた意識変化が大きかったと思います。特に、第二次世界大戦後、戦前にもあった“華族”と言う、特権階級が消滅し、明治期に成長した財閥も解体され、極一部残された“皇族”以外は、名目上の身分に差がなくなった事は、更にそれに拍車をかけたと思います。
    本題の、“尊敬語”は、相手を上に置いた言い方、“謙譲語”は、自分を下に置いた(へり下った)言い方。
    最も身近な“言う”“見る”を例にとれば、“尊敬語”は“仰る(おっしゃる)”“御覧になる”、“謙譲語”は、“申上げる(もうしあげる)”“拝見する”となりますね。
    ですから、“私が先生に、『この写真を御覧ください。』と申上げると、先生は、『君からお先にどうぞ。』と仰ったので、私が先に拝見しました(致しました)。”
    と、なるのですが、この頃では、
    “私が先生に、『この写真を見てください。』と言うと、先生は、『君からお先にどうぞ。』と言ったので、私が先に見ました。』”
    位に、“尊敬語”は“ください”だけで済ませてしまう学生が殆どです(笑)
    寂しい気もしますが、効率化と平等化が進む中、遠くない将来に、“敬語”の“尊敬語”“謙譲語”は廃れ、“丁寧語”に収斂されて行くのではないかと思います。