スペイン民主化の立役者アドルフォ・スアレス 1


Ecomスペイン語講師Anaこんにちは~。EcomのAnaです!今日はスペインの政治家、アドルフォ・スアレスという人についてお話します。

アドルフォ・スアレスは、フランコ独裁政権の後に、初めて自由な選挙で選ばれたスペインの首相です。彼は先週、長年の闘病生活を終え、呼吸器不全によって81歳で亡くなりました

スペイン政府は3日間を喪に服する日と定め、また彼を讃えた公の葬儀を行うことを決めました。彼の遺体は生まれた場所であるÁvilaという場所で眠ることになります。現在は彼、そして私たちの歴史において大きな出来事が起きた国会の葬儀場に安置されています。

スアレスはおよそ40年にも及ぶフランシスコ・フランコ(1975年に死去)の独裁政権が倒れた後、1977年に初の自由選挙によってスペインの首相になりました。スアレスはフランコの政党を解体させ、スペイン国王のフアン・カルロス1世と共に経済や社会を改革し、平和的な民主主義の基礎を作りました。

スペイン民主化の立役者「アドルフォ・スアレス」

1976年に国王が政府代表としてスアレスを選出した後、スアレスはフランコ政権の敵であった共産党の合法化を認めました。彼はリスクを背負うことを恐れませんでした。

そしてその行為によって軍に脅迫されることもありましたが、彼は動じませんでした。スアレスは国民の支持される組織を作ることを目指して、共産主義の合法化を実現させました。民主主義を実現するには、全ての市民を巻き込む必要があったからです。
そしてスアレスは1977年、43歳の時に保守や革新的な党派を統合させた政党(“the Union of the Democratic Center”)を設立し、選挙に当選しました。そのため彼の政府は、急進派と保守派を一緒にしたグループになりました。そして、言論・結集の自由を実現させ、経済の自由化、インフレに働きかけました。

スアレスらによって指導された7人の”聡明な男たち”は現在に至るまでの政治組織を牽引しました。1979年にスアレスは、首相として2度目の選挙に当選しました。しかし彼の作った政治連立は、経済の不調と社会の暴動によって崩壊し始めました。スアレスは1981年、軍事クーデターの数週間前に辞任しました。その時はもう、彼の政党の議席数はわずかになっていました。

彼は政治の舞台から退きましたがその後、11年前に病を患うまで、政治のリーダーたちを陰でサポートしてきました。

先週の金曜日にスアレスの息子(彼も議員です)が、「医者はもうスアレスの命は長くないと言っている」と伝えました。

その後、彼に対する多くの賞賛が起こりました。スアレスの起こした変革は優しすぎる、もっと革命的であるべきだったと考える一部の人は彼を批判しますが、彼の重要さはスペイン国民は皆知っています。今も私たちは、時代の変革期における彼の懸命な努力を忘れていません。

それぞれ異なる全ての政党が、40年に及ぶフランコ政権の後に、平和的な民主主義への変革が必要だったという考えには賛成しています。

私がこの記事を書いているたった今、ラジオでは「より良いもののために戦う精神というのは、私たちが今持っていないものでしょう。政治への不満や経済危機からの脱出など、様々な思いがあります。スアレスを讃えるために、葬儀場には長い列ができています。市民は、スペインの歴史における彼の業績、そして発展のために必死に働く彼の政治家精神を高く評価しているのです。そしてその姿は、現在の政治家に求められているものなのです。」と言っています。

スペイン民主化の立役者「アドルフォ・スアレス」

こちらの写真は、国王フアン・カルロス1世が亡くなる直前のスアレスに会いに行った時のものです。彼はこの時もう記憶を無くして、周りの人を認識することすらできない状態でした。

彼は、スペインにおける自分のつとめた役割、首相であった過去を覚えていませんでした。でも、スペイン社会はそれを決して忘れることはないでしょう。

今回の記事いかがでしたか?
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