「ロシア文学の父」プーシキンの波瀾万丈な人生

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Всем привет! みなさんこんにちは。Ecomのユリヤです。
今日は久しぶりに、ロシア文学についてお話したいと思います。最後に更新したのはロモノーソフについてなのでだいぶ前になりますが、みなさん覚えていますか?(笑)
一応昔ばなしから現代文学まで歴史を追って書いているのですが、本日紹介するプーシキンあたりから近代文学の始まりです。なので、これからは皆様もよくご存知の作家たちも出てきますよ♪
さて、この前私が教師を担当している英語のクラブで、たまたまプーシキンの話が出ました。プーシキンはロシアの学校で必ず習う人物の内の一人で、「ロシア文学の父」とも言われています。

 

 

「ロシア文学の父」プーシキンの波瀾万丈な人生
プーシキンは37才の若さで亡くなりました。

実はプーシキンは、ピョートル一世が連れて帰った黒人奴隷の孫でした。彼のお祖父ちゃんは、奴隷から貴族へ成り上がった人なのです。
そのため彼は「見た目がサルのようだ」と言われており、身長が低く顔も残念ながらイケメンではなかったそうです。しかし、見た目がいけていない分(?)、才能は素晴らしいものでした。彼は子供の頃から詩の才能があると認められ、学校でも文学の成績はいつも良く、卒業後も書き続けました。そして、韻文小説という「詩で小説を書く」ことに成功します。
彼は他にも数多くの文学作品を残しており、今でもサラッと読めちゃうような面白いものばかりです。100年前の作品なのにこれだけ読みやすいのは、流石に「ロシア文学の父」と言われるだけのことはありますね!

中でもおすすめなのは、以前オペラ映画として紹介しました「エフゲニー・オネーギン」です。和訳もされているので要チェックですよ☆他には「冬の道」などの美しい詩もたくさん残しています。

このように素晴らしい才能を持つプーシキンですが、それでも彼の素晴らしさを疑うロシア人が数多くいます。と言うのも、彼はいつも借金だらけで女癖が悪く、酒を飲んでは詩を書いて…の生活だったからです。私の生徒の一人に言わせれば「ネットもテレビもなかったから、詩を書くしかなかったんだよ。(彼は貴族なので)生活のことは全部家来がしてくれるし。」
ううっ…。そう言われると反論するのが難しいですが、プーシキンの時代の貴族は、彼に限らずみんなそんな感じだったしな…と言わざるを得ません。

プーシキンは、その亡くなり方にも女性が関係しています。「ロシア一の美女」と言われていた彼の奥様を狙ってきた若いフランス人男性、ダンテスとの決闘で亡くなったのです。
その背景には色々な事情があって、政府や貴族たちのプーシキンへの反感も原因の一つなのですが…。彼の友人だったレールモントフはその死にショックを受け、「詩人の詩」という作品で彼を嫌った当時の貴族社会を批判しています。

 

「ロシア文学の父」プーシキンの波瀾万丈な人生
レールモントフです。彼もまた26歳という若さで亡くなりました。

 

その人生には様々な評価がありますが、彼の残した作品たちは本物です。ロシア人なら誰でも読んだことのある小説ばかりなので、皆様もぜひ一度手にとってみてくださいね。

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