Всем привет! みなさんこんにちは。Ecomのユリヤです。
ペルミは雪が積もり、すっかり冬景色になっています。
私はそんな中をお散歩するのが大好きで、大学へは30分ほど歩いて通っています。
まあ私は30分だから楽しいですが、昔のロシアにはもっと厳しい道を3週間も歩き続けた人がいます。
それが本日紹介する、ミハイル・ロモノーソフという人です。
日本ではあまり知られていないですが、簡単に例えるなら「ロシアのダ・ヴィンチ」と言っても良いでしょう。

ロモノーソフは1711年、ホルモゴルイというロシア北部の端に位置する小さな町の漁師の家に生まれました。
彼は幼い頃から学ぶことが大好きで、独学で近所の人からもらった本を読んでいました。
しかし彼の住む地域や漁師という職業は、勉強とはほど遠い世界でした。
そこで彼は19歳になると、もっとレベルの高い知識を求めて、夜逃げに近い状態でモスクワまでの旅に出ます。

ロシア人なら誰でも知っているエピソードですが、夜にこっそり家を抜け出し、モスクワへ行く商人などに付き添い、3週間かけてモスクワまで歩いたのです。
スゴイ覚悟ですね。
彼はその後、トップの成績で大学に入り、奨学金を得て留学も果たします。
科学、言語学、詩など様々な分野に関心を持ち、絶えない好奇心で研究を続けました。
その結果、当時の政府にもその成果を認められています。
やがて彼は、自分が研究するだけでなく国全体が発達することを目指し、大学を創設します。
当時のロシアは帝国だったので、貴族と平民の間に大きな差がありました。
しかしロモノーソフは貴族の出身でもないのに自分の努力で成果をあげてので、当時のロシアで大きな評判となりました。
さらに、労働階級を重んじるソ連時代には、ヒーローのように称えられていました。
今でも、ロシア人が最も誇る人物の一人とされています。
ピョートル大帝やエカテリーナ二世といった歴史史上の有名人に並ぶレベルの人気者です。
さて、ロシア文学を語る上でも彼の存在は不可欠です。
なぜなら「ロシア文学の父」とされているプーシキンも認めている通り、ロモノーソフはロシアの学問そのものを作りました。
科学の基礎を作り、大学を作り、さらに私たちが知っているロシア詩の原型を作ったのも彼です。
(私は専門家ではないので簡単な説明しかできませんが、)ロモノーソフ以前、ロシアの詩は歌のように長く歌われるものでした。
しかしロシア語はフランス語などと違って、アクセントのある節が単語によってバラバラなので、あまり美しい響きにはなりませんでした。
ところが、ロモノーソフはロシア語の特徴をちゃんと生かした詩の書き方を思いついたのです。
同じ音節にアクセントがある単語を使い、リズムの美しい詩を書くことに成功しました。
その語のロシアでは、彼が残してくれたものを基に美しい文章がたくさん生まれてきます。
ロモノーソフは、ロシア文学の幕を上げた人なんですね。
だから、彼なくしてロシア文学は語れないということです。
プーシキンが「ロシア文学の父」なら、ロモノーソフはお祖父ちゃんってことですね☆
