Ecomのユリアです。guten Tag!
2015年のまとめでも宣言しましたが、今年は東ドイツについてたくさん書こうと思います!
さて、今日はその第一弾として、東ドイツにあった特別なお店「Intershop」を紹介します。
旧東ドイツは外交上また経済的な理由から売っている商品に限りがあって、他の国と比べると品揃えも少なかったです。そのようなイメージから、東ドイツに海外の商品なんて全く無かったと思われがちですが、実は資本主義の国から輸入した商品も売られていました。それが「Intershop」です。
「Intershop」は1962年に、西ドイツや他の西側の国から来た観光者や外交関係者がマルクやドルを使うための店として作られました。
東ドイツでは西ドイツの商品を西ドイツよりも安く売ることができたので、タバコやアルコール類は特に人気があったそうです。他にも西側の化粧品や服、おもちゃ、アクセサリーなどが置いてありました。
「Intershop」はまず東ベルリンでオープンし、その後は国境の近くの駅や空港、サービスエリアなどに建てられました。
ただしマルクも西ドイツのものしか使えなかったので、普通の東ドイツ国民はこのお店で買い物することはできませんでした。実は1974年まで、東ドイツの国民は西側のお金を持ってはいけなかったのです。
その後西ドイツのマルクの禁止はなくなり、東ドイツの人でも買い物ができるようになりました。ただし国境近くにあるサービスエリアの「Intershop」は、社会主義国以外の国民しか入れず、パスポートを見せる必要がありました。
それに、西ドイツ人にとって東ドイツで売っていた商品は安かったですが、東ドイツ人にとってはとても高かったです。
しかもマルクを東ドイツのものから西ドイツのものへ変えることは合法的にできなかったため、西ドイツに住む家族からもらうか、西ドイツの会社での給料をもらうしか方法がありませんでした。
このシステムにより東ドイツでの西ドイツマルクの流通量は抑えられ、西ドイツのお金持ちからたくさんのお金が東ドイツに入りました。
1980年にはなんと、380の「Intershop」支店が東ドイツにあり、売上は数十億マルクにもなったそうです。さらに1988年までに416の店ができて、その頃には西側のお金が不要なお店も生まれてきました。
セキュリティの都合上「Intershop」の中で写真撮影は禁止だったため、写真はあまり残っていないみたいです。
普通では手に入らない商品がいっぱいで、東ドイツ人にとって「Intershop」は天国のような場所だったことでしょう。
私のお母さんは「Internshop」で買い物がしたかったけれど値段が高すぎて、チャンスがあまりなかったと言っていました。
ですが、例えば醤油も売っているくらいなので、お金持ちにとっては東ドイツに住んでも「intershop」があれば不満のない生活ができたのでしょう。
6 thoughts on “東ドイツで海外商品が買えた唯一の店「Intershop」”
こんばんは^^
Intershop、興味深いですね。
業者はどのようなルートでやってきたのでしょう?
西側のレコードや雑誌などもあったのでしょうか。
東ドイツでは、ルーブルは使えたのでしょうか?
あと、中等教育から、ロシア語が教えられていたようですが、どのくらい使われていたのか、気になります。
Johannさん、コメントと興味深い質問ありがとうございます!
お母さんがこちらのテーマ詳しいので、Johannさんの質問をお母さんに聞いておきますね。 ちょっと待ってください。
Johannさん、 お母さんを聞いてきました!
西側のレコードや雑誌などですが、東ドイツに新聞や雑誌を持っていくことは禁止されていましたよ。雑誌などが売ってはいけなかったですが、
違法的に入ったものがもちろんあって、その中でカタログが人気あったみたいです。カタログ歯人気がありましたが、東ドイツでないことが分かってしまって、それで凹んでいる人もいました。レコードもなくて、空っぽのカセットが売られました。
東ドイツは自己完結的な国で、東ドイツにある連合赤軍の店で、ループルは使えましたが、それ以外ルーブルは使えませんでした。
ロシア語は日常生活には、あまり大事じゃなかったですが、ロシアにある大学を入ろうとしている人はもちろんロシア語が出来ないとだめでした。 現在と比べると、英語のようなものでした。
Intershopの業者は東ドイツ人だけで、大人気なしごとだと考えられました。ですが、どんなルートで入ったか、お母さんも詳しくなくて、私も良く分からなくて、すみません。
もし他に知りたいことがあれば、ぜひ聞いてみてくださいね。
こんばんは^^
返信ありがとうございます。
Intershopの業者のお仕事は人気だったのですね(笑)
東ドイツ人の働き方は、いかがだったのでしょうか?
ソ連時代、ロシア人は職場のノルマを低めに設定し、午前中に仕事を終わらせて、午後はウォッカを飲んでいたそうです。よく働く人は、労働英雄の勲章をもらったようですが、職場からは嫌われていたそうです。
ドイツ人は勤勉なイメージがあるので、東独時代の仕事ぶりがとても気になりました。
あと、東ドイツでは、 ラジオ番組のVoice of Americaを聞くことはできたのでしょうか?
これは伺いにくいことなのですが、日常生活の中で、Stasiの活動は気になっていたのでしょうか?
Johannさん、コメントありがとうございます。
東ドイツに生まれたお母さんはJohannさんの質問を渡したので、お母さんは答えてくれたすぐ連絡しますね。
東ドイツの製鉄所で2年間働いていたので、体験した範囲でお答えします。皆さん責任感を持ってまじめに働いていました。製鉄所は24時間操業の3交代制なので、早朝や夜中はきついですがしっかり職務を果たしていました。
頑張って働くと褒賞としてForum-Schecksという金券をもらえます。これがあればIntershopで買い物ができます。西のマルクDMを欲しがる同僚たちに私もよく内緒で両替をしてあげてました。
ラジオを聞かなくても西ドイツのテレビ放送が見放題(ドレスデンなど一部地域をのぞく)でしたので、西側の情報はとてもよく入っていました。私がいた頃通りに人がいなくなるほど人気だったのは、アメリカ、テキサスの成金石油王一族のスキャンダラスドラマ「ダラス」でした。資本主義が夢の世界に見えたのも89年につながり要因だったかもしれません。