こんにちは、EcomのJuliaです。
今日10月3日は、ドイツ人にとって大切な日です。なぜなら…そう、東西にわかれていたドイツが統一した日だからですね!
ドイツ統一に関係する大事な日は2つあります。1つは1989年11月9日、そしてもう1つが1990年10月3日です。1989年の8月から、ドイツ民主共和国では大きな騒ぎが起きていました。表現の自由と移動(旅行)の自由を求めて、ハンガリーを通って出国を目指す東ドイツ人がどんどん増えていたのです。そして1989年11月9日、ベルリンの壁が1961年8月13日に建てられてから初めて、ビザなしで西ドイツへ行けるようになりました。
そのきっかけは、ある記者会見で東ドイツのドイツ社会主義統一党のGünter Schabowski(ギュンター・シャボウスキー)という政治家が「ベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表してしまったことです。その瞬間、国境線が本当に開いているかを確かめるために、大量の人が東西ドイツの国境、特に西ドイツ側の壁に集まりました。
皆さんの中にも東ドイツの文化やドイツ統一の時代に興味を持つ人は多いと思います。そこで今回は、なんと私のお母さんにインタビューしてみました!お母さんはドイツ統一の時にちょうど私とお姉ちゃんを産みました。彼女はどんな気持ちでこの時代を生きていたのでしょうか?
それでは、ここからは下はお母さんの話になります。
ベルリンの壁が崩壊する時、私は双子を妊娠中だったのでベルリンに行くことはできませんでした。だから、家族みんなでテレビの前に集まって、そこに縛られたようにテレビを見ていました。
今まで30年間、ドイツ連邦共和国への出国は不可能で、それでも出国を試みた人は国境で銃殺されてきました。壁ができてから今まで、合計で715人が壁を越えようとして命を落としていました。だから、テレビの中で起きている光景は全く理解できませんでした。国境を簡単に渡れるなんて、信じられないことでした。ベルリンの壁を登って抱擁している人たちが、心にずっと残っています。
また、その時私の叔父は80歳だったのですが、ソファに座っていた彼がニュースを聞いた瞬間に嬉しくて泣いていた姿も忘れられません。叔父はドイツがどうして2つの国に別れてしまったのかを理解できずに、嫌いな東ドイツで過ごしていました。しかも彼は牧場を持っていたのに、東ドイツのポリシー(集団農場)のせいで、飼っていた動物と持っていた土地を全て取られてしまいました。とても大変だったそうです。だから、叔父が生きている間に国境が開いて本当に良かったと思いました。
今思うと、その時に軍隊が動くことなく平和的に国境が開かれて良かったですね。それは、ソ連のゴルバチョフ書記長のおかげでもあります。「Wer zu spät kommt, den bestraft das Leben」(life punishes those who come too late)とは、彼の一番有名な言葉ですね。
壁が壊れて最初の頃は、東ドイツと西ドイツは長く混在すると思われていました。ですが、国民の考えは違いました。国境が開いてからすぐ、たくさんの人が幸福を求めてドイツ連邦共和国へ移動していったのです。これにより、ドイツの統一は加速されました。
私はその時20才で、大学の友達も多くが西ドイツに行きました。私は双子を妊娠していたので実家に残り、1990年1月に双子(妹がJuliaですね)を出産しました。ドイツの状況とも重なり、とても幸せでしたね。
1989年11月9日の時点では、10ヶ月後にドイツ統一を祝うことができるなんて誰も想像できませんでした。しかし1990年6月1日に通貨が統合され、1990年10月3日にドイツ民主共和国がドイツ連邦共和国へ加わり、東西ドイツはやっと一つになりました。
もちろん喜びはありましたが、将来はどうなるかという不安もありました。東ドイツの会社は潰れて、多くの労働者が失業しました。私も統一してすぐに2人の赤ちゃんを育てるのは色々と大変でしたが、家族のために頑張って生きました。
ドイツ統一から25年が経ちますが、このような歴史的事件を体験できたことは嬉しいですね。私の子供たちは今ドイツで自由な生活ができていて、とても誇らしいです。昔は旅行してはいけない国にも今は行くことができるし、東ドイツ時代とは比べ物にならない程、経済的にも安定しています。
ですが、一番大事なのは“Freiheit“(独立)です。ドイツが本当の意味で独立した時の感動は、表現ができません!独立の業績をこれからも守るために、私も頑張っていきたいです。
皆さんいかがでしたか?気になることがあればどんどん質問してくださいね♪
6 thoughts on “10月3日で東西ドイツ統一から25年!当時を生きたドイツ人の思いは?”
Hallo Liebe Julia,
ein super Artikel! Es hat mir sehr spaß gemacht, es mithilfe von den Informationen im Artikel mir vorzustellen, was für ein Gefühl die Leute damals bei dem historischen Ereignis bekommen haben!
Vielen Dank!
Viele Grüße aus Berlin
Taiyaki
Lieber Taiyaki Mürai,
ich freue mich, dass der Artikel hilfreich für dich war.
Falls du noch weitere Fragen haben solltest, kannst du gerne jederzeit fragen. Ich werde mit meiner Mutter noch ein Interview machen, also sind Fragn jederzeit willkommen.
Bis bald!
Deine Julia
Hallo Liebe Julia,
ich hoffe, dass du das zweite Interview mit deiner Mutter noch nicht erledigt hast! Ich würde gerne dann wissen wie die Leute in Westdeutschland damals generell den relativ großen Zufluss von Ostdeutschland fanden.
Natürlich kann ich es mir gut vorstellen, dass sich die Menschen, die ihr Familienmitglied wegen des Mauers nicht sehen konnten, auf den Mauerfall sehr gefreut haben. Und den jungen Leute, die auf eine bessere oder andere Zukunft hofften, ging es genauso, glaube ich wenigstens. Mich interessiert aber ein anderer Aspekt auch. Gab es damals keine bestimmte Gruppe, die sich gegen die Leute aus Osten gesprochen hat?
Ich wünsche dir noch ein schönes Wochenende!
Viele Grüße
Taiyaki
Lieber Taiyaki,
vielen Dank für deine Frage! Das Interview mit meiner Mutter ist noch nicht vorbei!
Gerne werde ich ihr deine Frage stellen.
Falls du noch etwas anderes wissen möchtest, sage mir bitte Bescheid!
Liebe Grüße,
deine Julia
Hallo Julia-san,
vielen Dank für die gute Blog. Heute Sie ähneln den Photo Ihrer schöner Mutter! (Ahhhh….,^^; Ihre Mutter ist (viel) Junger als Koala! Koala ist geschockt. ^^;)
Es war sehr gut, dass Deutschland war wirklich unabhängig und frei. Deutschland löste viele schwierige Probleme mit anspruchsvollen Wegen.
Ich solge, dass Japan nicht noch treue Freihet nimmt über vielen Aspekten. Wir sollen lerne viel aus Deuchland wieder.
viele Grüße,
-Koala
Guten Tag, Herr Koala!
Meine Mutter ist erst 21 auf dem Bild, deswegen sieht sie besonders jung aus.
Aber Koala sind ewige 12, oder? 😉
In Japan gibt es auch Freiheit. Aber in Japan ist die Definition von Freiheit vielleicht ein bisschen anders.
Wenn Sie Fragen an meine Mutter haben, können Sie gerne jederzeit Fragen!
Liebe Grüße,
Ihre Julia