こんにちは、EcomのOlfaです! 皆さん、前回したコーヒーのお話は覚えていますか?今日はその続きです。
1685年にPhilippe Dufourというフランス出身の唐辛子商人が、コーヒーの輸出方法を説明した本があります。それによると、イエメンでは幅広い田舎地域でコーヒーが収穫されて、紅海沿いのモカの港などへ運ばれてきます。それが小舟に積まれて、サウジアラビアالعربية السعوديةのジッダجدّةという街へ向かいます。そこでもっと大きなガレー船に移されて、エジプトمصرのスエズالسويسまで行きます。そしてスエズから首都のカイロ القاهرةやシリアسورياのダマスカスدمشق、アレッポحلبなどの街までは駱駝に運んでもらいます。また、アラブ半島に向かってくるキャラバン(隊商)も、スエズから出発していました。
ちなみに、その本によると「コーヒーなら間違いなくイエメンで栽培されたものが一番」だそうです。
そしてコーヒーはペルシアفارس(イランایران)、トルコ Türkiye 、マグリブ المغرب العربي(北アフリカ)、南ヨーロッパ(オスマン帝国)にも輸出されました。それによりアラブ世界では、色んな「 مقهى 」(マクハ)が開きました。マクハとは直訳すると「コーヒーの場」です。現在のカフェのことですね。
マクハというコーヒーを飲む場は16世紀に生まれました。そこではコーヒーを飲む場として、非常に安い値段で皆が簡単に集まることができました。それにより旅行者との異文化交流をしたり、皆でゲームをしたり(チェスが一番人気でした)、または音楽を聴いたりアートの交流をしたり、といった活動が行われました。マクハでは、音楽の演奏や詩の朗読も行われていました。さらに、そこで出会った色んな人とディベートできる場所でもありました。マクハによって、色々な交流が活発になったんですね
ちなみにアラビア語圏外の地域では、「カフワ」は少し違う名前になりました。ペルシア語だと「قهوه خانه」(カフワ・カネフ)トルコ語だと「kahvehane」(カフウェハネ)です。
ただ両方とも、アラビア語の「力」と言う「カフワ」が元になっています。
どうでしたか?興味深かったですか?次回はコーヒーの話の最終回です!