こんにちは、Ecom中国語ネットです。今日は、故事成語シリーズの6回目です。今回紹介するのは、中国のある詩人の言葉が元になった成句です。
第6回
岁月不待人
[suì yuè bù dài rén]
昔の中国では時間に関する詩歌が多くて、“岁月不待人”もその1つです。陶淵明という有名な詩人の言葉なので、知っている人もいるかもしれませんね。
“岁月不待人”は日本語だと「歳月人を待たず」です。
东晋诗人陶渊明的《杂诗》
人生无根蒂,飘如陌上尘。
分散逐风转,此已非常身。
落地为兄弟,何必骨肉亲!
得欢当作乐,斗酒聚比邻。
盛年不重来,一日难再晨。
及时当勉励,岁月不待人。
(日本語訳)
人生に根やヘタはなく あてもなく舞い上がる路上の塵みたいなものだ風に吹き散らされて 元の身を保つこともできない
皆同じ様子だから兄弟だろう 骨肉が繋がっている必要はない
嬉しい時には大いに楽しもう 皆と酒をたくさん飲もう
盛んな時期は二度とは戻ってこない 一日に朝が二回は来ないように
楽しめる時に楽しもう 歳月は人を待ってくれないのだから
陶渊明は昔、中国の役人でした。この詩を書いた時は50代になっていて、役人を辞めて、田舎に戻っていました。この時代の中国は暗黒政治だったため、陶淵明はそれが嫌で役人を辞めてしまいました。そして、以後は田舎で静かに暮らしました。
◆使用例
同事甲: 我已经40岁了,岁月不待人,我明白自己若今次也没能被进升的话,也许永远没有机会了。
tóng shì jiă: wŏ yĭ jīng sì shí suì le, suì yuè bù dài rén , wŏ míng bai zì jĭ ruò zhè cì yě méi néng bèi jìn shēng de huà, yě xŭ yŏng yuăn méi yŏu jī huì le。
同事乙: 不会的, 我听说老李也是40多岁才能够坐上现在的位置呢!
tóng shì yĭ: bù huì de, wŏ tīng shuō lăo lĭ yě shì sì shí duō suì cái néng gòu zuò shàng xiàn zài de wèi zhi ne!
(日本語訳)
同僚甲: 私はもう40才だよ。歳月人を待たず、今回も昇進できなかった、もう永遠に昇進する機会はないことがわかったよ。
同僚乙: そんなことないよ。李さんも40才を過ぎてから今の位に達したのだから。
“岁月不待人”は書き言葉で使うことが多くて、“及时当勉励”と一緒に使う事もよくあります。
しかし、“岁月不饶人[suì yuè bù ráo rén]”と“年龄不饶人[nián líng bù ráo rén]”という、よく似た他のことわざもあります。“饶”は「許す」という言葉なので、歳月が過ぎ去り、人にどんどん老いていくようせきたてるという意味です。
違いは、“岁月不待人”のような「今を大切にしなさい」という意味が強くなく、年齢のことは仕方がないといったネガティブな感じがすることです。
3 thoughts on “中国故事成語 第6回『岁月不待人』”
ここで陶淵明と出会えるとは思いもせず、ついうれしくなって何か書かないと思い、パソコンに向かっています。
陶淵明は、私にとって、「堕落論」「日本文化私観」などで知られる日本の戦後無頼派の作家、坂口安吾とともに、生きる上で最も影響を受けた中国の詩人です。新聞社を退職する6年前の年末から約1か月間、妻や三女と中国各地を自由旅行した折、故郷の江西省九江にも立ち寄り、若いころからの念願だったゆかりの地を初めて訪ねました。
この時はあの「四川大地震」の半年前で、九江一帯は豪雪に見舞われて交通が遮断されてタクシーも動けず、一番行きたかった、陶淵明がその上に寝そべって酒を飲みながら詩を読んだとされる大きな岩(特に「酔石」と呼ばれています)までたどり着けず、悔しい思いをしました。
作品のうち、「盛年不重来,一日难再晨。 及时当勉励,岁月不待人」のくだりは私の学生時代、当時のNHKラジオの中国語講座の講師、鐘ヶ江信光先生が中国語の詩吟の一例として自ら吟じて紹介されたことがあり、私自身、とても身近に感じています。四十数年経た今も、先生の調子でまねて吟じられます。
陶淵明は終生、あこがれの存在です。故郷の訪問時、実は持参した数セットの電池が豪雪による寒さで使えず、写真撮影自体、記念館で十数枚撮ったところで一切不能となり、中国製の代替品も使えないという苦い思い出があります。
この哀しい出来事も、陶淵明が「また、故郷においで」と、私に声をかけてくれたのだと勝手に解釈しています。近く九江を再訪し、私の号としても使っている、あの「酔石」までたどり着き、可能なら、今度こそその上に寝そべってみたいと思います。日本人でも、中国人でも、陶淵明が好きな方とも交流できたら、嬉しいです。よろしくお願いします。
益尾宣博さま
Ecom中国語ネットです。コメントありがとうございます!
益尾さまの思いにはかないませんが、陶淵明は素晴らしい詩人ですよね^^(蛇足ですが、スタッフは坂口安吾も好きです。『桜の森の満開の下』などは、特に素敵な作品だと思います。)
酔石で寝そべるのは、とても羨ましいです。はやくその日が来ると良いですね!
これからも、Ecomをよろしくお願い致します。
ここで陶淵明と出会えるとは思いもせず、ついうれしくなって何か書かないと思い、パソコンに向かっています。 陶淵明は、私にとって、「堕落論」「日本文化私観」などで知られる日本の戦後無頼派の作家、坂口安吾とともに、生きる上で最も影響を受けた中国の詩人です。新聞社を退職する6年前の年末から約1か月間、妻や三女と中国各地を自由旅行した折、故郷の江西省九江にも立ち寄り、若いころからの念願だったゆかりの地を初めて訪ねました。 この時はあの「四川大地震」の半年前で、九江一帯は豪雪に見舞われて交通が遮断されてタクシーも動けず、一番行きたかった、陶淵明がその上に寝そべって酒を飲みながら詩を読んだとされる大きな岩(特に「酔石」と呼ばれています)までたどり着けず、悔しい思いをしました。 作品のうち、「盛年不重来,一日难再晨。 及时当勉励,岁月不待人」のくだりは私の学生時代、当時のNHKラジオの中国語講座の講師、鐘ヶ江信光先生が中国語の詩吟の一例として自ら吟じて紹介されたことがあり、私自身、とても身近に感じています。四十数年経た今も、先生の調子でまねて吟じられます。 陶淵明は終生、あこがれの存在です。故郷の訪問時、実は持参した数セットの電池が豪雪による寒さで使えず、写真撮影自体、記念館で十数枚撮ったところで一切不能となり、中国製の代替品も使えないという苦い思い出があります。 この哀しい出来事も、陶淵明が「また、故郷においで」と、私に声をかけてくれたのだと勝手に解釈しています。近く九江を再訪し、私の号としても使っている、あの「酔石」までたどり着き、可能なら、今度こそその上に寝そべってみたいと思います。日本人でも、中国人でも、陶淵明が好きな方とも交流できたら、嬉しいです。よろしくお願いします。 – See more at: http://myecom.sakura.ne.jp/wp/ja/chinese/blog/2014/03976/#sthash.ybPuYQ96.dpuf